[インデックス 11078] ファイルの概要
このコミットは、Go言語のコンパイラ(gc
)における最適化を目的としています。具体的には、外部スコープの変数をキャプチャしない(クロージャ変数を持たない)クロージャに対して、runtime.closure
ラッパーの生成を省略することで、コンパイルされたコードの効率を向上させます。これにより、不要なメモリ割り当てと実行時のオーバーヘッドが削減され、パフォーマンスが改善されます。
コミット
commit ba25778f3f24fcf0be5167737b28dd62d7fbeff1
Author: Luuk van Dijk <lvd@golang.org>
Date: Tue Jan 10 11:07:35 2012 +0100
gc: omit runtime.closure wrap for closures without closure variables
Fixes #1894.
test/closure.go's test for newfunc already covers this.
R=rsc, dsymonds, bradfitz
CC=golang-dev
https://golang.org/cl/5516051
---
src/cmd/gc/closure.c | 4 ++++\n 1 file changed, 4 insertions(+)
diff --git a/src/cmd/gc/closure.c b/src/cmd/gc/closure.c
index d29e8cbc28..fa44e40fae 100644
--- a/src/cmd/gc/closure.c
+++ b/src/cmd/gc/closure.c
@@ -192,6 +192,10 @@ walkclosure(Node *func, NodeList **init)\n \tNode *xtype, *xfunc, *call, *clos;\n \tNodeList *l, *in;\n \n+\t// no closure vars, don't bother wrapping\n+\tif(func->cvars == nil)\n+\t\treturn makeclosure(func, init, 1)->nname;\n+\n \t/*\n \t * wrap body in external function\n \t * with extra closure parameters.\n```
## GitHub上でのコミットページへのリンク
[https://github.com/golang/go/commit/ba25778f3f24fcf0be5167737b28dd62d7fbeff1](https://github.com/golang/go/commit/ba25778f3f24fcf0be5167737b28dd62d7fbeff1)
## 元コミット内容
このコミットは、Goコンパイラ(`gc`)において、クロージャ変数をキャプチャしないクロージャに対する`runtime.closure`ラッパーの生成を省略する変更を導入します。これにより、関連するIssue #1894が修正されます。この変更は、`test/closure.go`内の`newfunc`のテストによって既にカバーされています。
## 変更の背景
Go言語の初期開発段階では、パフォーマンスと効率が非常に重視されていました。クロージャは強力な機能ですが、その実装にはオーバーヘッドが伴う可能性があります。特に、外部の変数をキャプチャしないクロージャ(例えば、単に匿名関数として定義され、外部の状態に依存しないもの)であっても、Goコンパイラは一律に`runtime.closure`という内部的なラッパー構造を生成していました。
このラッパーは、クロージャがキャプチャした変数を保持するために必要ですが、変数をキャプチャしないクロージャにとっては不要なオーバーヘッドとなります。具体的には、不要なメモリ割り当て(ヒープへのエスケープ)や、関数呼び出し時の間接参照が増えることによる実行速度の低下が考えられます。
このコミットは、このような非効率性を解消し、Goプログラムの実行効率をさらに高めるための最適化として導入されました。コミットメッセージにある`Fixes #1894`は、この最適化がGoプロジェクトの既存の課題(Issue 1894)を解決するものであることを示しています。この課題は、クロージャの不必要なラッピングによるパフォーマンスの問題を指摘していたと考えられます。
## 前提知識の解説
### Go言語におけるクロージャ
Go言語におけるクロージャ(Closure)とは、関数が定義された環境(レキシカルスコープ)内の変数を「記憶」し、その関数がそのスコープ外で実行されたとしても、それらの変数にアクセスしたり変更したりできる機能を持つ匿名関数です。
* **変数キャプチャ**: クロージャが外部スコープの変数を参照する場合、その変数はクロージャによって「キャプチャ」されます。Goコンパイラは、キャプチャされた変数がクロージャの生存期間中も有効であるように、必要に応じてそれらの変数をスタックではなくヒープに割り当てます(エスケープ解析)。
* **匿名関数**: クロージャは通常、名前を持たない匿名関数として定義されます。
### Goコンパイラ (gc)
`gc`は、Go言語の公式かつ主要なコンパイラです。Goのソースコードを機械語に変換する役割を担っています。`gc`は、最適化、エスケープ解析、コード生成など、Goプログラムの実行効率を最大化するための様々な処理を行います。クロージャの内部的な表現や実行時の挙動も、`gc`によって決定されます。
### `runtime.closure`
`runtime.closure`は、Goランタイムがクロージャを内部的に表現するために使用する概念的な「ラッパー」または構造体です。Goの関数は、通常、コードへのポインタとして扱われますが、クロージャの場合は、そのコードに加えて、キャプチャされた変数への参照(環境)も保持する必要があります。
`runtime.closure`は、この「関数コードへのポインタ」と「キャプチャされた変数へのポインタの集合」を一つにまとめた構造体として機能します。これにより、クロージャが呼び出された際に、適切な関数コードが実行され、同時にキャプチャされた変数にアクセスできるようになります。このラッパーは、特に変数をキャプチャするクロージャにとって不可欠なものです。
### クロージャ変数 (Closure Variables)
クロージャ変数とは、クロージャがその定義された外部スコープから「キャプチャ」する変数のことです。これらの変数は、クロージャが実行される際に、そのクロージャの「環境」の一部として利用されます。例えば、以下のようなコードでは、`x`がクロージャ変数となります。
```go
func outer() func() int {
x := 0
return func() int {
x++
return x
}
}
このコミットの文脈では、func->cvars
はコンパイラ内部でクロージャがキャプチャする変数のリストを指します。cvars == nil
は、そのクロージャがキャプチャする変数が一つもない状態を示します。
技術的詳細
このコミットの核心は、Goコンパイラがクロージャを処理する際の条件分岐の追加にあります。従来のコンパイラは、クロージャが変数をキャプチャするかどうかにかかわらず、一律にruntime.closure
ラッパーを生成していました。しかし、変数をキャプチャしないクロージャは、その実行に必要な環境情報を持たないため、このラッパーは不要であり、むしろパフォーマンス上の無駄となります。
runtime.closure
ラッパーが不要なケース
- 変数をキャプチャしないクロージャ: 例えば、
func() { fmt.Println("Hello") }
のようなクロージャは、外部の変数を一切参照しません。このようなクロージャは、通常の関数ポインタと同様に扱うことができ、runtime.closure
ラッパーを介する必要がありません。
src/cmd/gc/closure.c
における変更
このコミットは、Goコンパイラのクロージャ処理ロジックが記述されているsrc/cmd/gc/closure.c
ファイルに、以下の4行のコードを追加しました。
// no closure vars, don't bother wrapping
if(func->cvars == nil)
return makeclosure(func, init, 1)->nname;
このコードは、クロージャを処理するwalkclosure
関数内で、クロージャがfunc->cvars == nil
(つまり、キャプチャする変数が存在しない)かどうかをチェックします。もし変数をキャプチャしない場合、runtime.closure
ラッパーを生成する通常のパスをスキップし、直接makeclosure
関数を呼び出します。ここでmakeclosure
の第3引数に1
が渡されているのは、これが「クロージャ変数を持たない」特殊なケースであることを示唆しています。これにより、コンパイラはより効率的なコードを生成できるようになります。
パフォーマンス上のメリット
この最適化により、以下のパフォーマンス上のメリットが期待されます。
- メモリ割り当ての削減: 変数をキャプチャしないクロージャに対して、不要な
runtime.closure
構造体のヒープ割り当てがなくなります。これにより、ガベージコレクションの負荷が軽減され、メモリ使用量が最適化されます。 - 実行時のオーバーヘッド軽減:
runtime.closure
ラッパーを介した間接的な関数呼び出しが不要になるため、直接的な関数呼び出しパスが利用され、実行速度が向上します。 - コードサイズの削減: 不要なラッパー構造体や関連するコードが生成されなくなるため、最終的なバイナリサイズがわずかに削減される可能性があります。
Issue #1894について
Gerritの変更履歴によると、Fixes #1894
は、この最適化がGoプロジェクトのIssue 1894を修正するものであることを示しています。このIssueは、おそらくクロージャの不必要なラッピングによるパフォーマンス上の問題や非効率性を報告していたものと推測されます。このコミットによって、その問題が解決されたことになります。
コアとなるコードの変更箇所
--- a/src/cmd/gc/closure.c
+++ b/src/cmd/gc/closure.c
@@ -192,6 +192,10 @@ walkclosure(Node *func, NodeList **init)\n \tNode *xtype, *xfunc, *call, *clos;\n \tNodeList *l, *in;\n \n+\t// no closure vars, don't bother wrapping\n+\tif(func->cvars == nil)\n+\t\treturn makeclosure(func, init, 1)->nname;\n+\n \t/*\n \t * wrap body in external function\n \t * with extra closure parameters.\n```
## コアとなるコードの解説
変更は`src/cmd/gc/closure.c`ファイルの`walkclosure`関数内で行われています。`walkclosure`関数は、Goコンパイラがクロージャを処理する主要な部分です。
追加されたコードは以下の通りです。
```c
// no closure vars, don't bother wrapping
if(func->cvars == nil)
return makeclosure(func, init, 1)->nname;
-
if(func->cvars == nil)
:func
は現在処理しているクロージャを表すNode
構造体へのポインタです。cvars
は、このクロージャがキャプチャする変数(クロージャ変数)のリストを保持するフィールドです。- この条件文は、もし
cvars
がnil
(ヌル)であれば、そのクロージャが外部スコープから変数を一切キャプチャしていないことを意味します。
-
return makeclosure(func, init, 1)->nname;
:- もしクロージャが変数をキャプチャしていない場合、通常の
runtime.closure
ラッパーを生成する複雑なロジックをスキップし、直接makeclosure
関数を呼び出して、その結果を返します。 makeclosure
関数は、クロージャの最終的な表現を構築する役割を担っています。- 第3引数の
1
は、このmakeclosure
の呼び出しが、変数をキャプチャしない特殊なクロージャのためのものであることを示唆しています。これにより、makeclosure
は、不要なラッパー構造体を生成せず、よりシンプルな関数ポインタのような表現を返すことができます。 ->nname
は、生成されたクロージャの「名前」(コンパイラ内部での識別子)を取得しています。
- もしクロージャが変数をキャプチャしていない場合、通常の
この変更により、コンパイラは、変数をキャプチャしないクロージャに対して、より効率的なコードパスを選択できるようになり、結果として実行時のパフォーマンスが向上します。
関連リンク
- Gerrit Change-ID: https://golang.org/cl/5516051
- 旧Google Codeリポジトリでのコミット: http://code.google.com/p/go/source/detail?r=07184a938f08
参考にした情報源リンク
- Web search results for "Go compiler closure implementation runtime.closure"
- Web fetch of
https://golang.org/cl/5516051