[インデックス 11264] ファイルの概要
このコミットは、Go言語のドキュメンテーションツールであるgo/doc
およびgodoc
において発生していた、レシーバ変数のシャドーイング(shadowing)問題を修正するものです。具体的には、go/doc
パッケージ内のMethod
構造体において、フィールド名が既存のフィールドやメソッドと衝突しないように変更することで、ドキュメンテーション生成時の不整合を防ぎます。
コミット
commit 9e5f62ac0c7259988fb616d6a91625befa1db62f
Author: Robert Griesemer <gri@golang.org>
Date: Thu Jan 19 08:52:53 2012 -0800
go/doc, godoc: don't shadow receiver
Fixes #2737.
R=bradfitz
CC=golang-dev
https://golang.org/cl/5553062
GitHub上でのコミットページへのリンク
https://github.com/golang/go/commit/9e5f62ac0c7259988fb616d6a91625befa1db62f
元コミット内容
go/doc, godoc: don't shadow receiver
Fixes #2737.
変更の背景
このコミットは、Go言語のIssue 2737を修正するために行われました。Issue 2737は、go/doc
パッケージがメソッドのレシーバ情報を処理する際に、内部的な変数名が構造体のフィールド名と衝突(シャドーイング)することで、ドキュメンテーションの生成に問題が生じるというバグを報告していました。
Go言語では、メソッドを定義する際にレシーバ(receiver)を指定します。例えば、func (r MyType) MyMethod() {}
というメソッド定義では、r
がレシーバ変数です。go/doc
パッケージは、Goのソースコードを解析してドキュメンテーションを生成する役割を担っており、この過程でメソッドのレシーバに関する情報も抽出します。
問題は、go/doc
パッケージ内のMethod
構造体が、その内部に*Func
というフィールドを持っており、Func
構造体自体がRecv
というフィールド(レシーバの型を表す)を持っていたことです。さらに、Method
構造体自身もRecv
というフィールドを定義しようとしていました。これにより、名前の衝突が発生し、意図しない動作やドキュメンテーションの誤りが生じる可能性がありました。
このコミットは、Method
構造体内のRecv
フィールドの名前をOrigin
に変更することで、このシャドーイング問題を解決し、go/doc
およびgodoc
が正確なドキュメンテーションを生成できるようにすることを目的としています。
前提知識の解説
1. Go言語のレシーバ (Receiver)
Go言語において、メソッドは特定の型に関連付けられた関数です。この関連付けは「レシーバ」と呼ばれる特別な引数によって行われます。レシーバは、メソッドが操作するインスタンス(値またはポインタ)を指定します。
例:
type MyStruct struct {
Value int
}
// 値レシーバのメソッド
func (s MyStruct) GetValue() int {
return s.Value
}
// ポインタレシーバのメソッド
func (s *MyStruct) SetValue(newValue int) {
s.Value = newValue
}
ここで、s MyStruct
やs *MyStruct
がレシーバの宣言です。s
はレシーバ変数名、MyStruct
や*MyStruct
はレシーバの型です。
2. 変数のシャドーイング (Variable Shadowing)
プログラミングにおけるシャドーイングとは、あるスコープで宣言された変数が、その内側のスコープで同じ名前の別の変数によって「隠される」現象を指します。内側のスコープでは、外側のスコープの同名変数にはアクセスできなくなり、内側の変数が優先されます。
Go言語では、異なるスコープ(例えば、構造体のフィールドとメソッドの引数、またはネストされたブロック)で同じ名前を使用するとシャドーイングが発生します。これは意図しないバグの原因となることがあります。
例:
package main
import "fmt"
type Example struct {
name string
}
func (e Example) Greet(name string) { // メソッドの引数 `name` が構造体のフィールド `name` をシャドーイング
fmt.Printf("Hello, %s! My name is %s\n", name, e.name) // ここで `name` は引数の `name` を指す
}
func main() {
ex := Example{name: "Alice"}
ex.Greet("Bob") // 出力: Hello, Bob! My name is Alice
}
この例では、Greet
メソッドの引数name
がExample
構造体のフィールドname
をシャドーイングしています。メソッド内でname
と書くと引数のname
が参照され、構造体のフィールドにアクセスするにはe.name
のようにレシーバ変数を通じて明示的にアクセスする必要があります。
今回のコミットの背景にある問題は、これと似たような状況で、go/doc
パッケージが内部的に持つ構造体のフィールド名が、別の埋め込み構造体のフィールド名と衝突していたために発生しました。
3. go/doc
パッケージとgodoc
ツール
go/doc
パッケージ: Go標準ライブラリの一部であり、Goのソースコードを解析してドキュメンテーションツリーを構築するためのAPIを提供します。このパッケージは、パッケージ、型、関数、メソッド、変数などの情報を抽出し、それらを構造化されたデータとして表現します。godoc
ツールはこのパッケージを利用してドキュメンテーションを生成します。godoc
ツール: Go言語の公式ドキュメンテーションツールです。Goのソースコードから自動的にドキュメンテーションを生成し、Webサーバーとして提供したり、コマンドラインで表示したりできます。godoc
は、コードコメントや宣言から情報を抽出し、それを整形して表示します。
技術的詳細
go/doc
パッケージは、Goのソースコードを抽象構文木(AST)として解析し、その情報からドキュメンテーションモデルを構築します。このモデルは、Package
、Type
、Func
、Method
などの構造体で構成されます。
問題が発生したのは、src/pkg/go/doc/doc.go
内のMethod
構造体でした。この構造体は、Goのメソッドに関するドキュメンテーション情報を保持します。
元のコードでは、Method
構造体は以下のように定義されていました。
type Method struct {
*Func
// TODO(gri) The following fields are not set at the moment.
Recv *Type // original receiver base type
Level int // embedding level; 0 means Func is not embedded
}
ここで注目すべきは、*Func
という埋め込みフィールドです。Goでは、構造体にポインタまたは非ポインタの型を埋め込むことができます。埋め込まれた型(この場合はFunc
構造体)のフィールドやメソッドは、外側の構造体(Method
)のフィールドやメソッドであるかのように直接アクセスできます。
Func
構造体は、関数やメソッドに関する情報を保持しており、その中にはレシーバの型を表すRecv
というフィールドが存在します。
// Func is the documentation for a function or method.
type Func struct {
// ...
Recv string // actual receiver name (e.g. "x", "*x", or "")
// ...
}
したがって、Method
構造体は*Func
を埋め込んでいるため、Method
のインスタンスからFunc
のRecv
フィールドにm.Recv
としてアクセスできます。しかし、Method
構造体自身もRecv *Type
というフィールドを定義しようとしていました。
この状況は、Method
構造体内でRecv
という名前が二重に定義されることになり、シャドーイングが発生します。具体的には、Method
構造体自身のRecv *Type
フィールドが、埋め込まれた*Func
のRecv string
フィールドをシャドーイングしてしまいます。これにより、go/doc
がメソッドのレシーバ情報を正しく処理できなくなり、ドキュメンテーション生成時に誤った情報が使用されたり、予期せぬ動作を引き起こしたりする可能性がありました。
このコミットは、Method
構造体内のRecv
フィールドの名前をOrigin
に変更することで、この名前の衝突を解消し、シャドーイングを防ぎます。これにより、go/doc
はメソッドのレシーバに関する情報を正確に抽出し、godoc
は正しいドキュメンテーションを生成できるようになります。
コアとなるコードの変更箇所
--- a/src/pkg/go/doc/doc.go
+++ b/src/pkg/go/doc/doc.go
@@ -36,8 +36,8 @@ type Value struct {
type Method struct {
*Func
// TODO(gri) The following fields are not set at the moment.
- Recv *Type // original receiver base type
- Level int // embedding level; 0 means Func is not embedded
+ Origin *Type // original receiver base type
+ Level int // embedding level; 0 means Func is not embedded
}
// Type is the documentation for type declaration.
コアとなるコードの解説
変更はsrc/pkg/go/doc/doc.go
ファイル内のMethod
構造体の定義にあります。
元のコード:
type Method struct {
*Func
// TODO(gri) The following fields are not set at the moment.
Recv *Type // original receiver base type
Level int // embedding level; 0 means Func is not embedded
}
変更後:
type Method struct {
*Func
// TODO(gri) The following fields are not set at the moment.
Origin *Type // original receiver base type
Level int // embedding level; 0 means Func is not embedded
}
この変更の核心は、Method
構造体内のRecv *Type
フィールドの名前がOrigin *Type
に変更されたことです。
Recv
からOrigin
への変更:Method
構造体は*Func
を埋め込んでいます。Func
構造体にはRecv string
というフィールドがあります。- 元のコードでは、
Method
構造体自身もRecv *Type
というフィールドを持っていました。 - これにより、
Method
構造体のインスタンスからRecv
にアクセスしようとすると、Method
自身のRecv *Type
フィールドが、埋め込まれたFunc
のRecv string
フィールドをシャドーイングしていました。 - フィールド名を
Origin
に変更することで、この名前の衝突が解消され、シャドーイングがなくなりました。 Origin
という新しい名前は、「元のレシーバの基底型」という意味合いをより明確に示しており、コードの可読性も向上しています。
このシンプルな名前変更により、go/doc
パッケージはメソッドのレシーバ情報を正しく区別し、処理できるようになり、godoc
ツールが生成するドキュメンテーションの正確性が保証されます。
関連リンク
- Go Issue 2737: このコミットが修正したIssueの直接的なリンクは、Goの旧Issueトラッカーに存在した可能性がありますが、現在のGitHubリポジトリでは直接見つけることができませんでした。しかし、コミットメッセージに明記されているため、このIssueが存在し、このコミットによって解決されたことは確かです。
- Go CL 5553062: https://golang.org/cl/5553062 (GoのコードレビューシステムであるGerritのチェンジリストへのリンク)
参考にした情報源リンク
- Go言語の公式ドキュメンテーション (特にメソッドと構造体の埋め込みに関するセクション)
- Go言語における変数のシャドーイングに関する一般的な解説記事
go/doc
パッケージのソースコード (src/pkg/go/doc/doc.go
)- GitHubのGoリポジトリにおける関連するコミット履歴
- Web検索: "golang issue 2737", "go receiver shadowing", "go/doc package"