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[インデックス 14083] ファイルの概要

このコミットは、Go言語の実験的な型システム (exp/types/staging) のテストコードにおけるビルドエラーを修正するものです。具体的には、types_test.go ファイル内で発生していたコンパイラエラー(特に386アーキテクチャでのレジスタ不足に起因する可能性のある問題)を回避するために、一時変数を使用するようにコードが変更されています。

コミット

commit d5b570cdb105d8ea3c6a86c603949d3a9de647f3
Author: Robert Griesemer <gri@golang.org>
Date:   Sun Oct 7 18:16:04 2012 -0700

    fix build: use temporary variable to avoid compiler error
    
    R=r
    CC=golang-dev
    https://golang.org/cl/6612066

GitHub上でのコミットページへのリンク

https://github.com/golang/go/commit/d5b570cdb105d8ea3c6a86c603949d3a9de647f3

元コミット内容

このコミットの元のメッセージは以下の通りです。

fix build: use temporary variable to avoid compiler error

R=r
CC=golang-dev
https://golang.org/cl/6612066

これは、ビルドを修正するために一時変数を使用し、コンパイラエラーを回避したことを示しています。R=r はレビュー担当者を示し、CC=golang-dev はGo開発者メーリングリストへの通知を示唆しています。https://golang.org/cl/6612066 は、この変更に対応するGerritのチェンジリストへのリンクです。

変更の背景

この変更は、Go言語のコンパイラが特定のコードパターンを最適化する際に、特に386アーキテクチャのようなレジスタが限られた環境で問題を引き起こす可能性があったために行われました。元のコードでは、複数のポインタデリファレンスと型アサーションが連鎖しており、これがコンパイラにとって処理しにくい複雑な式となっていたと考えられます。

具体的には、pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl).Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0] という一連の操作が、コンパイラが一度に保持できるレジスタの数を超えてしまう可能性がありました。このような状況は、コンパイラのバックエンドがコードを機械語に変換する際に、中間表現の複雑さやレジスタ割り当ての制約によって発生します。

この問題は、Go言語のコンパイラ開発の初期段階において、様々なアーキテクチャ(特に32ビットシステム)での安定性とパフォーマンスを確保するための継続的な努力の一環として浮上したものです。コンパイラのエラーメッセージ「out of fixed registers」は、コンパイラが特定の操作を実行するために必要なレジスタを確保できなかったことを明確に示しています。

前提知識の解説

Go言語のAST (Abstract Syntax Tree)

Go言語のコンパイラは、ソースコードを直接機械語に変換するのではなく、まずソースコードを抽象構文木(AST)と呼ばれるツリー構造にパースします。ASTは、プログラムの構造を抽象的に表現したもので、各ノードはコードの要素(変数宣言、関数呼び出し、式など)に対応します。

このコミットで登場するAST関連の型は以下の通りです。

  • ast.GenDecl: import, const, type, var などの一般的な宣言を表します。
  • ast.ValueSpec: 変数や定数の宣言を表します。
  • ast.Expr: 式を表すインターフェースです。
  • ast.File: 単一のGoソースファイル全体を表すASTのルートノードです。

コード中の .(*ast.GenDecl).(*ast.ValueSpec) は、Goの型アサーション(Type Assertion)です。これはインターフェース型の値が特定の具象型であるかどうかをチェックし、その具象型の値として取り出すために使用されます。

コンパイラのレジスタ割り当て

コンパイラは、プログラムの実行速度を最大化するために、CPUのレジスタを効率的に使用しようとします。レジスタはCPU内部にある非常に高速な記憶領域であり、変数や計算の中間結果を一時的に保持するために使われます。

しかし、レジスタの数は限られています(例えば、386アーキテクチャでは汎用レジスタが比較的少ない)。複雑な式や多くの変数を同時に扱う場合、コンパイラはすべての必要な値をレジスタに保持しきれなくなることがあります。この場合、コンパイラは一部の値をメモリに「スピル」(spill)する必要があります。メモリへのスピルは、レジスタへのアクセスよりもはるかに遅いため、プログラムのパフォーマンスに悪影響を与えます。

「out of fixed registers」というエラーは、コンパイラが特定の操作(この場合はASTのトラバースと値の抽出)を実行するために必要な固定レジスタ(特定の目的のために予約されたレジスタ)を確保できなかったことを示唆しています。これは、コンパイラのレジスタ割り当てアルゴリズムが、与えられたコードの複雑さに対して限界に達したことを意味します。

exp/types/staging パッケージ

exp/types/staging は、Go言語の標準ライブラリの一部として、実験的な型チェッカーや型システム関連の機能を提供していたパッケージです。Go言語の進化の過程で、新しい機能や改善がまず exp (experimental) パッケージで試され、安定性が確認された後に標準ライブラリに統合されることがあります。このパッケージは、Go 1.0リリース後の型システムに関する研究開発の一環として存在していました。最終的には、この機能はGo 1.5で導入されたgo/typesパッケージに発展しました。

技術的詳細

このコミットの技術的な核心は、コンパイラのレジスタ割り当ての制約を回避するためのコードの単純化です。

元のコード:

expr := pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl).Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0]

この一行のコードは、以下のような複数の操作を連鎖的に行っています。

  1. pkg.Files[filename] からファイル情報を取得。
  2. .Decls[0] で最初の宣言を取得。
  3. .(*ast.GenDecl)ast.GenDecl 型にアサーション。
  4. .Specs[0] で最初のスペック(宣言の詳細)を取得。
  5. .(*ast.ValueSpec)ast.ValueSpec 型にアサーション。
  6. .Values[0] で最初の値を取得。

このような長いチェインは、コンパイラが一度に多くのポインタをデリファレンスし、複数の型アサーションの結果を一時的に保持する必要があることを意味します。特に32ビットアーキテクチャ(386)では、利用可能なレジスタが限られているため、コンパイラがこれらのすべての中間結果をレジスタに保持しきれず、メモリへのスピルが発生したり、最悪の場合、レジスタ割り当てに失敗してコンパイルエラーとなることがあります。

修正後のコード:

decl := pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl)
expr := decl.Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0]

この変更では、元の長い式を2行に分割し、中間結果である pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl) を一時変数 decl に格納しています。これにより、コンパイラは一度に処理しなければならない式の複雑さを軽減できます。

コンパイラは、一時変数に値を格納することで、その値をレジスタに保持する必要がある期間を短縮したり、必要に応じてメモリにスピルするタイミングをより適切に管理できるようになります。この場合、decl に格納された値は、次の行で expr を計算する際に再利用されます。この分割により、コンパイラのレジスタ割り当てアルゴリズムがより効率的に機能し、レジスタ不足のエラーを回避できたと考えられます。

これは、コンパイラの最適化の限界に直面した際に、人間がコードを少しだけ「手助け」して、コンパイラがより単純なタスクに分解できるようにする典型的な例です。

コアとなるコードの変更箇所

変更は src/pkg/exp/types/staging/types_test.go ファイルの TestExprs 関数内で行われています。

--- a/src/pkg/exp/types/staging/types_test.go
+++ b/src/pkg/exp/types/staging/types_test.go
@@ -169,7 +169,10 @@ func TestExprs(t *testing.T) {
 			t.Errorf("%s: %s", src, err)
 			continue
 		}
-		expr := pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl).Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0]
+		// TODO(gri) writing the code below w/o the decl variable will
+		//           cause a 386 compiler error (out of fixed registers)
+		decl := pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl)
+		expr := decl.Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0]
 		str := exprString(expr)
 		if str != test.str {
 			t.Errorf("%s: got %s, want %s", test.src, str, test.str)

コアとなるコードの解説

変更されたコードブロックは、GoのASTをトラバースして特定の式の値を取得する部分です。

元のコード:

expr := pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl).Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0]

この行は、pkg.Files マップから現在のファイル (filename) のASTを取得し、そのファイルの最初の宣言 (Decls[0]) が一般的な宣言 (ast.GenDecl) であると仮定して型アサーションを行い、その宣言の最初のスペック (Specs[0]) が値の宣言 (ast.ValueSpec) であると仮定して型アサーションを行い、最後にその値の宣言の最初の値 (Values[0]) を expr 変数に代入しています。

修正後のコード:

// TODO(gri) writing the code below w/o the decl variable will
//           cause a 386 compiler error (out of fixed registers)
decl := pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl)
expr := decl.Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0]

この修正では、元の長い式を2つのステップに分割しています。

  1. decl := pkg.Files[filename].Decls[0].(*ast.GenDecl): まず、ファイルの最初の宣言を取得し、それが ast.GenDecl 型であることをアサートして、その結果を一時変数 decl に格納します。これにより、この中間結果がレジスタに保持される期間が短縮され、コンパイラがレジスタをより効率的に管理できるようになります。

  2. expr := decl.Specs[0].(*ast.ValueSpec).Values[0]: 次に、decl 変数を使用して、その宣言の最初のスペックから値を取得し、expr に代入します。このステップでは、decl がすでに計算されているため、コンパイラはより単純な式を処理することになります。

追加されたコメント // TODO(gri) writing the code below w/o the decl variable will // cause a 386 compiler error (out of fixed registers) は、この変更が386アーキテクチャでのコンパイラエラーを回避するためのものであることを明確に示しています。これは、コンパイラのレジスタ割り当ての制約が、特定の複雑な式で顕在化することを示唆しています。

関連リンク

参考にした情報源リンク

  • Go言語のGitHubリポジトリ: https://github.com/golang/go
  • Gerrit Code Review (Goプロジェクトのコードレビューシステム): https://go-review.googlesource.com/
  • Go言語のコンパイラ最適化に関する一般的な情報(例: Goのブログ記事、カンファレンス発表など)
  • 386アーキテクチャのレジスタセットに関する情報(一般的なコンピュータアーキテクチャの教科書やオンラインリソース)
  • Go言語のgo/typesパッケージの歴史と進化に関する情報(Goのリリースノートやデザインドキュメント)