[インデックス 14739] ファイルの概要
このコミットは、Go言語のランタイムにおけるCgo呼び出しに関連する_defer
構造体のfree
フィールドを明示的にゼロ値(false
)に初期化する変更です。これは、GoのセマンティクスとC言語のローカル変数の初期化の違いに起因する潜在的な問題を解決するためのものです。
コミット
runtime: zero d.free field
Not programming in Go anymore:
have to clear fields in local variables.
R=ken2
CC=golang-dev
https://golang.org/cl/7002053
GitHub上でのコミットページへのリンク
https://github.com/golang/go/commit/403f012534b7042160d26377a70b6624ccfd976c
元コミット内容
commit 403f012534b7042160d26377a70b6624ccfd976c
Author: Russ Cox <rsc@golang.org>
Date: Sat Dec 22 18:23:26 2012 -0500
runtime: zero d.free field
Not programming in Go anymore:
have to clear fields in local variables.
R=ken2
CC=golang-dev
https://golang.org/cl/7002053
---
src/pkg/runtime/cgocall.c | 2 ++\
1 file changed, 2 insertions(+)
diff --git a/src/pkg/runtime/cgocall.c b/src/pkg/runtime/cgocall.c
index 7b540951b3..ed859c07b9 100644
--- a/src/pkg/runtime/cgocall.c
+++ b/src/pkg/runtime/cgocall.c
@@ -132,6 +132,7 @@ runtime·cgocall(void (*fn)(void*), void *arg)
\td.link = g->defer;
\td.argp = (void*)-1; // unused because unlockm never recovers
\td.special = true;
+\t\td.free = false;
\tg->defer = &d;
}
@@ -237,6 +238,7 @@ runtime·cgocallbackg(void (*fn)(void), void *arg, uintptr argsize)
\td.link = g->defer;
\td.argp = (void*)-1; // unused because unwindm never recovers
\td.special = true;
+\t\td.free = false;
\tg->defer = &d;
\tif(raceenabled)
変更の背景
このコミットの背景には、Go言語のランタイムがC言語で書かれた部分(特にsrc/pkg/runtime/cgocall.c
)とGo言語のセマンティクスとの間の微妙な相互作用があります。コミットメッセージの「Not programming in Go anymore: have to clear fields in local variables.」という一文がその核心を突いています。
Go言語では、変数を宣言すると自動的にその型のゼロ値で初期化されます。例えば、ブーリアン型はfalse
、整数型は0
、ポインタ型はnil
になります。これはGoの設計思想の一部であり、未初期化変数によるバグを防ぐのに役立ちます。
しかし、Goランタイムの一部はC言語で書かれており、C言語ではローカル変数が自動的にゼロ初期化されるとは限りません。特にスタック上に確保される構造体のフィールドは、明示的に初期化しない限り、不定な(ガベージ)値を持つ可能性があります。
このコミットは、Cgo呼び出しの際にGoのdefer
メカニズムを管理するために使用される_defer
構造体が、C言語の関数内でローカル変数として宣言される場合に、そのfree
フィールドが不定な値を持つ可能性があるという問題に対処しています。free
フィールドが意図せずtrue
になってしまうと、defer
構造体が不適切に解放されようとするなど、ランタイムの不安定性やクラッシュを引き起こす可能性があります。
したがって、この変更は、C言語のコードベースにおいてGoのセマンティクス(ゼロ値初期化)を強制し、ランタイムの堅牢性と予測可能性を向上させることを目的としています。
前提知識の解説
Go言語のdefer
ステートメント
defer
ステートメントは、Go言語のユニークな機能の一つで、関数がリターンする直前に実行される関数呼び出しをスケジュールするために使用されます。これは、リソースの解放(ファイルのクローズ、ロックの解除など)やエラーハンドリングにおいて非常に便利です。defer
された関数は、その関数が正常に終了するか、パニックによって終了するかにかかわらず、必ず実行されます。
Goランタイム (runtime)
Goランタイムは、Goプログラムの実行を管理する低レベルなシステムです。これには、ガベージコレクション、ゴルーチンのスケジューリング、チャネル通信、メモリ管理、そしてCgo呼び出しの処理などが含まれます。ランタイムの大部分はGoで書かれていますが、OSとのインターフェースやパフォーマンスが重要な一部のコンポーネントはC言語(またはアセンブリ言語)で書かれています。
Cgo
Cgoは、GoプログラムからC言語のコードを呼び出したり、C言語のコードからGoの関数を呼び出したりするためのGoの機能です。これにより、既存のCライブラリをGoプロジェクトで利用したり、Goの特定の機能をCから利用したりすることが可能になります。Cgoは、GoとCの間のデータ変換やスタック管理など、複雑な相互運用メカニズムを扱います。
src/pkg/runtime/cgocall.c
このファイルは、Goランタイムの一部であり、Cgo呼び出しのメカニズムを実装しています。GoからCへの呼び出し(runtime·cgocall
)や、CからGoへのコールバック(runtime·cgocallbackg
)など、GoとCの間の遷移を管理する低レベルなCコードが含まれています。
_defer
構造体
Goランタイム内部では、defer
ステートメントは_defer
というC言語の構造体(またはそれに相当する内部表現)によって管理されます。この構造体は、defer
された関数へのポインタ、その引数、そして他の_defer
構造体へのリンク(defer
リストを形成するため)などの情報を含んでいます。
重要なフィールドの一つがfree
です。このフィールドは、_defer
構造体がヒープから割り当てられたものであり、使用後に解放する必要があるかどうかを示すフラグとして機能します。通常、defer
構造体はスタック上に割り当てられますが、defer
の数が非常に多い場合や、特定の最適化パスではヒープに割り当てられることもあります。
C言語のローカル変数の初期化
C言語では、静的ストレージ期間を持つ変数(グローバル変数や静的ローカル変数)は自動的にゼロ初期化されますが、自動ストレージ期間を持つローカル変数(スタック上に確保される変数)は、明示的に初期化しない限り不定な値(以前そのメモリ位置にあったデータ)を持ちます。これは、Goの「ゼロ値」の概念とは対照的であり、GoランタイムのCコードでGoのセマンティクスを維持する際に注意が必要な点です。
技術的詳細
このコミットは、Goランタイムのsrc/pkg/runtime/cgocall.c
ファイル内の二つの関数、runtime·cgocall
とruntime·cgocallbackg
における_defer
構造体のインスタンスd
のfree
フィールドを明示的にfalse
に設定しています。
runtime·cgocall
はGoからCへの呼び出しを処理し、runtime·cgocallbackg
はCからGoへのコールバックを処理します。これらの関数は、Cgo呼び出しのコンテキストでGoのdefer
メカニズムが正しく機能するように、一時的な_defer
構造体(d
)をスタック上に作成します。
問題は、このd
がC言語のローカル変数として宣言されているため、そのフィールドがGoのように自動的にゼロ初期化されない可能性があることです。特にd.free
フィールドは、ブーリアン型(またはそれに相当する整数型)であり、初期化されない場合、true
と解釈されうる非ゼロの値を持つ可能性があります。
もしd.free
が意図せずtrue
になってしまうと、Goランタイムは、この_defer
構造体がヒープから割り当てられたものであり、使用後にm_free
などの関数で解放する必要があると誤解する可能性があります。しかし、実際にはd
はスタック上に割り当てられた一時的な変数であるため、これを解放しようとすると、不正なメモリアクセスや二重解放などの深刻なランタイムエラー(クラッシュ)を引き起こす可能性があります。
このコミットは、d.free = false;
という行を追加することで、この潜在的な問題を解決しています。これにより、d.free
は常にfalse
であることが保証され、ランタイムがスタック上の_defer
構造体を誤って解放しようとすることを防ぎます。これは、C言語のコードベースにおいてGoの「ゼロ値」の保証を明示的に適用する典型的な例であり、ランタイムの安定性と信頼性を向上させるための重要な修正です。
コアとなるコードの変更箇所
--- a/src/pkg/runtime/cgocall.c
+++ b/src/pkg/runtime/cgocall.c
@@ -132,6 +132,7 @@ runtime·cgocall(void (*fn)(void*), void *arg)
\td.link = g->defer;
\td.argp = (void*)-1; // unused because unlockm never recovers
\td.special = true;
+\t\td.free = false;
\tg->defer = &d;
}
@@ -237,6 +238,7 @@ runtime·cgocallbackg(void (*fn)(void), void *arg, uintptr argsize)
\td.link = g->defer;
\td.argp = (void*)-1; // unused because unwindm never recovers
\td.special = true;
+\t\td.free = false;
\tg->defer = &d;
\tif(raceenabled)
コアとなるコードの解説
変更はsrc/pkg/runtime/cgocall.c
ファイル内の2箇所にあります。
-
runtime·cgocall
関数内: この関数は、GoコードからCコードを呼び出す際に使用されます。GoのゴルーチンがC関数を呼び出す前に、現在のゴルーチンのdefer
リストに一時的な_defer
構造体d
を追加しています。これは、Cgo呼び出し中にGoのランタイムが特定のクリーンアップ処理(例えば、unlockm
)を実行できるようにするためです。 追加された行d.free = false;
は、このスタック上に確保された_defer
構造体d
のfree
フィールドを明示的にfalse
に設定しています。これにより、この_defer
構造体がヒープから割り当てられたものではないことをランタイムに保証し、Cgo呼び出しの完了後に誤って解放されるのを防ぎます。 -
runtime·cgocallbackg
関数内: この関数は、CコードからGoコードへのコールバックを処理する際に使用されます。runtime·cgocall
と同様に、Cgoコールバック中にGoのランタイムが特定のクリーンアップ処理(例えば、unwindm
)を実行できるように、一時的な_defer
構造体d
を現在のゴルーチンのdefer
リストに追加しています。 ここでも、追加された行d.free = false;
は、スタック上に確保された_defer
構造体d
のfree
フィールドを明示的にfalse
に設定し、誤ったメモリ解放を防ぐ役割を果たします。
どちらの変更も、C言語のローカル変数が自動的にゼロ初期化されないという特性を考慮し、Goランタイムのdefer
メカニズムがCgoのコンテキストで堅牢かつ安全に動作することを保証するためのものです。これにより、ランタイムのクラッシュや予期せぬ動作を防ぎ、GoとCの相互運用性を安定させます。
関連リンク
- Go言語の
defer
ステートメントに関する公式ドキュメント: https://go.dev/tour/flowcontrol/12 - Cgoに関する公式ドキュメント: https://go.dev/blog/cgo
- Goランタイムのソースコード(
src/runtime
ディレクトリ): https://github.com/golang/go/tree/master/src/runtime
参考にした情報源リンク
- Go言語のゼロ値に関する解説: https://go.dev/doc/effective_go#zero_value
- C言語のローカル変数の初期化に関する一般的な情報 (例: C Standard Library documentation, C programming tutorials)
- Goの
_defer
構造体に関する議論やソースコードの分析 (例: GoのIssueトラッカー、Goのメーリングリストのアーカイブ、Goランタイムのソースコード自体)- Goのソースコード内の
_defer
構造体の定義: https://github.com/golang/go/blob/master/src/runtime/runtime2.go (Goのバージョンによってファイルや構造体の定義が異なる場合がありますが、概念は共通です)
- Goのソースコード内の
- Go CL 7002053: https://golang.org/cl/7002053 (このコミットの元のコードレビューページ)
- Goの
defer
メカニズムの内部動作に関するブログ記事や解説 (例: "Go's defer in depth" などで検索) - Goのガベージコレクションとメモリ管理に関する情報 (例: "Go's Memory Allocator" などで検索)