ORD 3: 折口の主要交通の変遷を比較する
概要
鹿児島県阿久根市折口地区の交通がどう形成されてきたかを見る。
江戸時代
江戸時代は特に街道沿いではなかった。折口には何も記載がない。湾は見るからに交通に不便だが、幅の狭い折口川河口部分に渡し舟があったという(出所不明)。

明治時代
主要道(赤線)が阿久根〜野田、阿久根〜脇本になった。高低差の大きい地形的を通っていて、規格は高くないだろう。現在の国道3号線にあたる道はまだ存在しないか、主要道ではない。

明治後半に国道3号、大正に川内線折口駅が開業した。国道3号は陣之尾峠で、大きな傾斜がある。鉄道は傾斜を避けるため国道3号とは異なる、海側のルートになったのだろうと考えられる。

昭和時代

昭和62年に脇本バイパスが完成した。新設されたバイパスに国道389号があてられ、今まで国道389号だった道路を県道365号1に降格。


- 旧国道389号線には鉄道との平面交差、狭隘区間があり、脇本地区の物資輸送の妨げとなっていたという。現在でも、全体的に幅員が小さく線形が悪い箇所が多い。歩道すらない箇所も多い
平成時代
高規格幹線道路(南九州西回り自動車道)と接続され、初めて高速道路網に組み込まれた。
- 九州新幹線の開業によって鹿児島本線の在来線、薩摩川内〜八代駅間が第三セクター化した。折口駅は肥薩おれんじ鉄道駅となった
- 南九州西回り自動車道の北阿久根インターチェンジが設置され国道3号、国道389号と接続された。

関連
ORD: 2。干拓が行われた。