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ORD 34: 『道路開鑿記念碑』の解説文を見る

概要

鹿児島市山下町には『道路開鑿記念碑』と解説文がある。

『道路開鑿記念碑』の解説文から抜粋
鹿児島県は三方を海に囲まれ、暖かく肥沃な土地で、海陸の産物に恵まれている。しかし、県内は複雑な地形がいたるところにあり、道路が悪く、交通も不便で産業が振るわず、県民はとても苦しんでいた。当時の渡辺千秋知事(明治13年7月~明治23年9月)は、このことを憂い、県民のために道路を整備することとし、県議会に諮って賛成を得た。
県民をこれを聞き競って建設費を寄付し、また、政府は国庫補助金も出した。渡辺知事に代わった山内提雲知事(明治23年9月~明治25年11月)もこの事業の必要性を大いに認め、自ら先頭に立って吏員や県民に対して、この大事業を成し遂げうるのは、いかにつらくともこの仕事の他に無いと、促し激励した。
明治20(1887)年6月に着工し5年の歳月を経て完成したものである。資金は50数万円で、整備した道路の延長は100里(約400km)余りであった。
国道として、
その一 国道37号は、鹿児島から市来、川内、阿久根、米ノ津を経て熊本県境に至る26里25町余り(現在の国道3号、約105km)
  • 国道37号(明治国道のナンバリング)の後に国道3号となった
  • 複数路線が同時期に整備された
  • まだ自動車用ではなく、舗装されてないはず。昭和の市報で舗装工事が掲載されていたため
  • 記念碑は平田橋たもとから移設された

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