KDOC 9: オタクは相対的である

10代後半~20代にかけて、集団の中で常にオタク1に分類されてきた。

初めてフルタイムで働き始めた会社にて、はじめてコンピュータに精通した集団で過ごした2。いくつかの面で自分と同じ人々だ、とシンパシーを感じた。そのような人々のなかでも、自分はオタクとみなされていた。同じ領域の仕事をしている人にそう思われることは誇らしく感じた。

しかし、自分は、ただ相対的にオタクであっただけで、 本当の オタクだったわけではない。ただ、その存在を知らなかっただけだった。

今の同僚たちのことだ。彼らの中にいると、自分はオタクではない。嫌というほど自覚したし、実際に言われたこともある。興味の熱量が、全然違った。何の疑問も持たずに自明だとしていたことを異常に知っていて、知らないことに対するセンスも鋭かった。図を交えて1時間近く議論していることもよくある。知識に対する解像度が高い。当然ながら、高学歴な人たちだ。異文化を観察するようにその知識へのふるまいを見て、よく感動する。

ここまで人から刺激を受けて、自分もそうなりたいと感じたのは、初めてだった。うさんくさく思っていたけど、これがよく言われる人との出会いなんだ。本を読んでも人は変わらないが、出会いによって人は比較的簡単に変わる。帯域幅が全然違う。

ということで、何が言いたいか。

Footnotes:

1

ここでいうオタクは技術に精通して工学や工作に対して猛烈な興味を持つ、という意味。アイドルオタクなど消費しかできない人々のことではない。

2

大学は文系で、サークルも全く関係ないものだった。数学やコンピュータの話をしたことはなかった。文系を選択したことは人生で取り返しがつかない、後悔した選択の1つだ。明らかに理系が上位互換なので、そっちを選択するべきだった。

3

一番のチャンスは大学だろうが、あまりよくない大学・学部だとその可能性は閉ざされる。