KDOC 68: 好きの程度

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  • 作成
    • 2024-02-03 貴島
  • レビュー
    • 2024-02-04 貴島

概要

アニメで『葬送のフリーレン』を観ている。魔法使いフリーレンはエルフで長命である。勇者パーティとして魔王を倒し平和を取り戻した後の世界で、エルフと比較して短命な種族である人間とどう関わっていくかを描く物語である。フリーレンの魔法に対する接し方が、なにかに打ち込む熱量の極地にあるように見えた。それについて考えたことを書く。

極め方

フリーレンの行動原理は、魔法を収集することである。そのために冒険し、人から報酬に指定して仕事を受ける。読書を多くしている場面も描写されている。そういった行動の割には、魔法がそこまで好きではない、とよく言及している。

自分の知っている中で、極めた人(スポーツ選手、小説家、プログラマー…)は、成したことと本人がそのことを好きと言っているかどうかはあまり関係がないように見える。大変だから単純に好きとはいえないが、それが生活の一部になっているからやる、みたいな感じが多い。ただ多くの労力をそこに実際にかけているのは共通しているように見える。

逆に、好きと言えるのであれば、それほど負荷がかかっていないとも言える。趣味で週1回テニスをやっているオジサンはテニスを好きだというだろうが、血反吐を吐いて練習しているプロ選手はテニスを単純に好きだと言わないだろう。好きという言葉だけで表現するには、切り捨てた情報が多すぎる。

結局のところ、物事に取り組む熱量を測るには行動を見るしかない。声高らかに〜が好きという言葉は必要でない。むしろ危険信号とも言える。好きだと自分に言い聞かせていないか。好きになることが目的になっていないか。好きは行動した結果導き出されるものなんじゃないか。

「仕事は好きなことをやれ」とよく言うが、正確には「人生の時間を多く費やして辛いところも知っている。それでも続けたいと思えることをやれ」である、と言えそうだ。取り組みたいと考えられる仕事はパッと出てきたりしない。どこか未知の場所にあるのではなく、自分自身で育てて、時間をかけていつか気づくものなのだと考えた。

関連

  • KDOC 2: 仕事場。外側から観測できる成功要因みたいなものはない、という結論が共通している
  • KDOC 3: 『ない仕事の作り方』。圧倒的な量が集まってきたから好きになる、というやり方の共通性。行動が先にある

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