KDOC 236: 『さよなら私』

この文書のステータス

  • 作成
    • 2024-09-08 貴島
  • レビュー
    • 2024-09-14 貴島

概要

『さよなら私』は、みうらじゅんのエッセイ。「自分探し」をやめることに焦点を置いている。

メモ

  • 何がなんだかサッパリわからなくなるのは長い時間かけて洗脳された「ある」に縛られているからである。「そもそもはない」何度も繰り返し、そうつぶやいてみる。1日に何回も。訓練していくうちに、脳があると思い込もうとしている瞬間がわかってくる。たいがいは気が弱っているときや不安なとき、調子に乗っているときなど冷静さを欠いているとき(p16)
    • 「私には幸せな家庭がある」「そもそもはない」
    • 「永遠の愛がある」「そもそもはない」
    • 「仕事や地位や立場や敵や味方や自分や…」「そもそもはない」
  • 自分なんて見つけてるひまがあるのなら、少しはボンノウを消そうとする「自分なくし」のほうが大切ではないか(p18)
  • うまいもんが食いたいとか、素敵な恋人に出会いたいとか、楽して生きたいとか、次々に要求してくるものに必死で対応しているのが「自分」である。言うなれば脳の奴隷が自分である。脳は「自分をなくしちゃ人間おしまいよ」とささやきつづけるが、聞く耳を持ってはいけない。「自分なんていっさい信じてない」と言い返すとよい。脳は理由や理屈を要求してくるが、誘惑に負けてはいけない。すべての悩みの原因は、自分があると信じていることである(p20)
  • 若い頃は「好きな人、好きなもの、好きな道…」ということにこだわっていた、という。しかしその主語はあくまで自分であって、自分が好きと感じたことが重要だった。人を好きになるのではなく、「自分が好きになった」を好きになる(p21)
  • 人は鈍感でない限り、他人とうまくやっていきたいと願っている。あわよくば「いい人」って思われ続けたい。そこが判断を鈍らせる原因である。それにはもう、他人にどう思われたってかまわないという強い意志表示が大切である。いい人というのはある意味、悪い人のことであるなんて脳が混乱するような哲学を持っている。人生の場合、本当はいいか悪いかじゃなく、今の自分で満足しているのかしていないのかを問われている(p23)
  • 人はどうにもならないことをあえてして、それがかなわないときに悩みを生み出す。自業自得である。人それぞれさまざまな理由があるが、他人への期待と比較が大本である。これさえ気をつけて、しないように心がけていればたいがいの悩みは解消する。癖となっている。しないようになるまでは努力が必要である(p27)
  • 自分なんてそもそもない。脳がそう思い込んでいるだけである。だから自分の決める価値観なんて信じてはいけない。それは単なる選択にすぎず、こうしたほうが楽だろうとか、こう言ったほうが得をするなんて、気弱でズルイ脳が防備しているだけ。「そこがいいんじゃない」あまりいい状況でないと脳が判断したとき、すぐさまその呪文を唱えるとよい。口に出して言うとさらに効果的である(p29)
  • 1人でいると突然不安がやってくることがある。結局は自分はこれでいいのか、ということである。まあ安心、かなり不安、ものすごく不安。この繰り返しの人生の中で、たまたま不安を感じないときがある。その程度のものが安心であると考えたほうが賢明である(p33)
  • 不安の反意語が「安定」なんて嘘。安定なんてものはそもそもこの世になく、油断している期間のことをそう呼んでいるにすぎない(p35)
  • とにかく少しでも自分に興味をなくし、自分以外のものに興味を向けるべき(p35)
  • 時代というのは実は目に見えるものではなく、新しい考え方が古い考え方を押しつぶしていく変遷のことである。考え方に正解はなく、考え方はいつもの風に舞っている。ただひとつ言えることは、人間なんて考え方ひとつでどうにでもなるということ(p39)
  • 「いい・悪い」というつまらない判断ばかり気にしてないで、ただ何かに夢中になって、時の流れに身を任す。それが唯一の不安から脱出法である(p47)
  • 淋しさから逃れる方法は2つある。1つは淋しくならないように努力するか、淋しさに慣れるかである。安心していいことは、人はみな淋しいということ。それでも他人がやたら楽しそうに見え、うらやましいと考えるときは、淋しくならない努力を怠っていると反省すべきである(p51)
  • 今からでは遅い可能性があるが自分を変えたい、できれば努力しないで。だいたい人が考えることは同じである。何かにすがって生きようと考える。もとを正せばどんなときでも自分が人生の主人公であったことに気づく。自分の感性や視点でしか物を見てこなかったことが大きな原因である。それを正すのは今からでも遅くはない。身のまわりのだれかを主人公に抜擢し、自分を脇役と考える生活方式に切り替えてみる。またひと味違ったストーリーが展開するだろう。「損してる」と感じてるようではまだ脇役になりきれていないのでさらなる精進が必要である(p52)
  • 人生設計という言葉をきくが、まじめすぎてはいけない。人はそもそも自分に対してだけはやたらまじめなものであるから、人さまに笑われるくらいのふざけの暇つぶしには必要である。「いいなあ、あの人」と考えられる人は、暇を上手につぶしている人のことであって、決して成功者だと思いこんでいる人ではない。そうこうしているうちに人は暇を感じない死を迎えるものなのである(p54)
  • かつて、1度も参加しようとも考えなかった山登りに鍾乳洞めぐり。過去1度も参加しようと考えただけあって、しんどい。それに大しておもしろくない。それでも続けることに意味があると考え何ヶ所も行くと、それなりに魅力を感じはじめている自分がいた(p96)
  • 世の中には役に立つものと役に立たないものがある。みうらじゅんが熱く語っているのは役に立たないもので、意味のないものにこそ意味があるなんてことを必死になって伝えようとしている、という(p110)
  • メスが決めた「モテる・モテない」などというルールから早く脱却し、オス本来の自由を味わいながらグレイト余生を送るべきなのではないか(p114)
  • 生き甲斐とか生き様とか、ロマンというものは、それをどれだけ楽しそうに埋めているかの評価にかかってくる。「あの人はいつも楽しそうだ」とか、「遊んでいるようにしか見えない」なんて他人から言われれば、起きて、食って、糞して、寝てるだけに見えてないわけだから大したものである(p142)
  • 若さとは決して年齢のことではなく、その人が溜めているバカさの量に比例している(p153)

関連

なし。