KDOC 251: 『終戦日記』
この文書のステータス
- 作成
- 2024-10-09 貴島
- レビュー
- 2024-10-28 貴島
メモ
- 日記の付け方として参考にしたいと考えて読んだ
- 見聞きした何気ない雑多なものについて、考察している。面白いものが含まれている
- 日記だが、80年後の他人が見てもわかるものになっている
- スカートと靴下の洋風姿をすっかり見なくなったという
- 戦前は全部和風だといっしょくたに考えていた。そうではない。太平洋戦争の窮乏と統制によって、洋風とは逆方向に振れた結果であった
- 銀座はすっかり変わってしまったという。それでも若者は銀座で選んで遊んでいる
- よく交通や地名のことが描写されていて、確かに連続した場所なのだ、ということを感じる。頭では過去と今はつながっていることはわかっているのだが、なかなか実感することは少ない
- 夏目漱石『坊っちゃん』の30年ほど後に書かれている。文章は今のものとかなり近く、詰まることなく読める。坊っちゃんは、明らかに今の言葉遣いとは異なっていて、ギリギリ読めるくらいの印象だった。わからない言葉や言い回しも多くあった
- 書いているのは、地位のある、人脈を多く持つ知識人であることを留意しなければならない。よく有名人と会ったことが出てくる。玉音放送も前日から放送があることを知っていた。当時の庶民から見た日記、ではない
- 終戦の日でも、東京の雰囲気は大して変わらなかったという
- いつ終わるのか、決戦を不安に考えるのが緊迫感を感じさせる。歴史のラストを知っているから、一直線なシナリオとして捉えているが、現実はそうではない
- 玉音放送で土下座して号泣している人のイメージがあるが、作者や周囲ではそうではなかったようだ。事実をすぐに飲み込めていないのは共通だが、感情的な動きはあまり感じられない。冷ややかな態度に見えた
- 同業者や同級生とのつながりが強くよく交流をしている
- 日記から面白いところを切り抜いたもので、そのままの日記の内容がそのまま出版されたわけではない
関連
なし。