KDOC 321: 『静寂の技法』

この文書のステータス

  • 作成
    • 2024-12-15 貴島
  • レビュー
    • 2025-01-11 貴島

概要

『静寂の技法』は、騒音を3つに分け、それらを克服するためのヒントを記した本。

メモ

  • 最初の章で、延々と事例を紹介する。いかに沈黙というアイデアが異なる形をとって活用されているか。さまざまなケース、国など
  • 究極的にやった結果、自我「私が」ではなくなる
  • 監獄で静寂を見つける方法
  • 膨大な参考文献、エピソードがある
  • 他者とのコミュニケーションにおいて静寂は気まずいものとみなされることがある。が、一概にそうではないこともある。むしろ静寂のなかで何かを共同でする経験が、より親密さを深めることがある
  • もっとも深い静寂は、たんなる不在だけでなく、実在でもある
  • 騒音に気づくこと。そして、静寂に波長を合わせること(位置No.297)
  • 瞑想と呼ばれているものの正式な規則や道具にこだわる必要はない。「きちんとできているだろうか」といった疑問は忘れてよい(位置No.319)
  • 現代の政治は、徹底的に注意を奪い尽くすための容赦ないゼロサムゲームと化した。それは社会全体がドラマチックな演出や気を散らすものの中毒になってしまったことの極端な現れである(位置No.428)
  • 常時オンであること、読んで反応して返信できる状態でいることがしだいに当然になってくる。この騒音が私たちの意識を奪う。目の前のことに集中したり、自分の心の衝動をうまく処理してくれたり空白―――に気づいたり、それを正しく認識したり維持するのを難しくする(位置No.502)
  • 『大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法』
  • 『デジタル・ミニマリスト―――スマホに依存しない生き方』
  • フェイスブックをチェックすることへの心理的な依存と、脳の貴重な灰白質の減少との相関が明らかになった。その減少はコカイン使用による減少に匹敵するほどだった(位置No.611)
  • 他者が彼をどう認識しているかに、自分の充実感を相変わらずそっくり委ねていることに気づいた(位置No.724)
  • マルチタスキングは効率的になりたいという願望に動機づけられているのに対して、継続的・部分的注意は、けっして機会を逃さないように努めること(位置No.744)
  • 私たちの経済は成功とはGDPの増加―――音と刺激とモノの最大限可能な生産を意味するという考え方に基づいて構築されている。個人の成功も似た種類の「成長」、すなわち、社会関係資本と情報資本と金融資本の継続的蓄積次第の場合が多い(位置No.744
  • 社会のマクロレベルのスケールでは「生産は繁栄だ」というのがメッセージとなる。個人の意識というミクロレベルのメッセージは「休息できるのは死んだとき」である(位置No.744)
  • 私たちの静寂の概念は、音の完全な不在ではない。思考の完全な不在でもない。騒音の不在だ。人の明確な知覚と意図を妨げる、聴覚や情報や内部の刺激の合間や、それらを超えたところにある空白だ
  • 静寂は謙虚さだ。それは知らないという姿勢であり、手放す場である。静寂は空白を満たさなくてもかまわないという事実を受け入れることだ。ただあるがままに存在しているのは良いことだ。最低でもそれは現実を形作ったり導いたりしなければいけないというプレッシャーから1歩身を引く機会である(位置No.1005)
  • 心の中で沈黙せよ。感覚の中で沈黙せよ。そしてそれらすべてが沈黙したら何もするな。真理があなたの前に現れて尋ねるだろう。「お前は何を望んでいるのか」と(位置No.1046)
  • 人はもっとも深い静寂に入るとき、生命の本質である振動を絶やしてはいない。その静寂にもっとよく波長を合わせられるように注意散漫の原因や自我や落ち着きのなさを捨てている(位置No.1171)
  • 現代文明が出現する前は、24時間のうち少なくとも6時間から8時間の沈黙が許されていた。現代文明は夜を日に、黄金の沈黙を真鍮の騒音や雑音に変えることを人間に教えた(位置No.1304)
  • ナイチンゲールは音量の全体的なレベルを気にするいっぽうで、さまざまな種類の騒音を区別した。そして内容が理解できる範囲をわずかに超えた、ささやき声での会話や、廊下でのおしゃべりのような「何だろうという思い」を抱かせる種類の騒音を何よりも避難した(位置No.1726)
  • ソーシャルメディアの使用頻度の高さと1年後の注意力の減退や衝動性と活動過剰の傾向の強まりとが結びついていることがわかった(位置No.1895)
  • 自己中心的な夢想の好きなようにさせているなら、それは意識の中の静寂とはいえない。ぼーっとしているのは、もっともやかましい状態になりうる(位置No.2297)
  • 瞑想のような営み、あるいはただ静寂に意識的な注意を払うことが騒音をいつも確実に超越するのに役立つ(位置No.2297)
  • 静寂のなかで、著者は2人とも、逃げ出したい、空白を埋めるためには何でもしたいという強烈な願望を感じてきた(位置No.2628)
  • 深い静寂が平気になるというのは、不快な事柄を抱えながら部屋に独りで座り、「私」というはっきりした感覚を守ったり飾ったりするのが専門の脳の領域からエネルギーを遠ざけることである(位置No.2628)
  • 15歳の子どもに、日常的な恐れを挙げるように言うと、「きまりの悪い沈黙」にまつわる答えが返ってくる可能性が高い(位置No.2673)
  • 恐ろしくなるのはかならずしも「あなた」ではない。それはやかましいデフォルト・モード・ネットワーク、限られた「自我的自己」だ。差し迫った消滅を感じ取る「ミーネットワーク」だ(位置No.2869)
  • 今日の生活で、あなたは天気の変化を感じたり、馴染みのない音を耳にしたとき、赤ん坊の知覚のように自分の「知っている」すべてのことよりも深いところまで達する経験の次元に波長を合わせられるだろうか(位置No.2977)
  • 良いところを見せようとしたり、実力や何かの正しさを証明したり、あらかじめ定められた人生に向かって絶えず前進したりする必要がない、という稀有な主張(位置No.3000)
  • 「騒音に対する私の応答が、おそらくいちばんやかましかった」(位置No.3287)
  • 自分自身と向き合いたくなかった。現実に直面するよりも、気を散らしてくれるものを探すほうが心地よかった(位置No.3436)
  • 人はただ耳を傾けているとき、音の源泉について頭を悩ませたりしない。代わりに、耳、注意、体、存在そのものといったあらゆる手段を使って生命の振動に波長を合わせる。それには1つの正しいやり方などというものはない(位置No.3661)
  • その収縮した感覚―――内部騒音と結びついている感覚―――に気づいたとき、何もする必要がない、という。善悪や是非の判断は下さない。無理やり追い払おうとしない。ただ注意を払う。その収縮に気づき、内部騒音を自覚するという行為だけで、それを変えるのにはじゅうぶんである(位置No.4178)
  • 人はストレスの感覚を、生き生きとしている証拠と取り違えることが多い。人は、心がほとんど途切れなく情報を受けていない限り、自分の人生には意味がないと無意識に思い始める(位置No.4200)
  • 先入観を持たないこと、多くの練習を試すこと、自分の心と体のシグナルに気づくこと、喜びをもたらしてくれる練習をすること(位置No.4318)
  • 概念や心配のいっさいを完全に手放す。自分は何者かや自分の人生に何が起こっているかについての、自分自身の筋立てや語りを、全部捨てる。生命そのものの愛に満ちた本質の中にただ漂う(位置No.4512)
  • 誰か他の人と分かち合う短い静寂は、それが言葉で計画されたものであれ、ただ自然に訪れたものであれ、互いのつながりや、協同して取り組んでいることに、深みと肌理を加えられる(位置No.5670)
  • 静寂を孤独と、人のつながりを会話の内容と、それぞれ結びつける文化では、静寂の共有というのは直観に反する発想だ(位置No.5894)
  • アーミッシュの暮らしはアンチ科学技術には程遠い(位置No.6045)

-精神的な刺激と物質的なものを果てしなく手に入れ、蓄えるのが「良い人生」だろうか(位置No.6748)

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