KDOC 424: 『具体と抽象』

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概要

『具体と抽象』は、SNSや会社で議論が噛み合わないなどの身近な例を題材に、具体と抽象についてやさしく解説した本である。

メモ

感想。

  • この本自体が具体と抽象を往復する構成となっていて読みやすい
  • 社会を生きるにあたって、「具体レベルの世界にのみ生きる人だ」とみなすことによって楽になることは多そうである
  • ちょくちょく具体のみに生きる人への恨み、軽蔑を感じる
  • 文化や会話は日本中どこでも同じで共有しているとみなされているが、そうではない。個人ごとに違う。同じと考えたときの違和感を言語化しているようだ

箇所。

  • 「理学」と「工学」はある面で正反対である。理学は抽象化の方向で、工学は具体化の方向である(位置298)
  • 斬新な製品や革新的な仕組みを作るためには「多数の意見を聞く」ことはしない。多数の意見はそれぞれの具体レベルに引きずられて、どうしても「いまの延長」の議論しかできなくなる。逆に改善していく場面では、なるべく多数の人から意見を吸い上げることが重要になる(位置403)
  • 具体レベルのみで読んでいる人は書かれていることにはすべて「実在するモデル」がいる前提で解釈する。書いている側は体験を抽象化してから具体的にストーリーに落としている場合が多い(位置438)
  • 人に仕事を頼んだり頼まれたりするときに、その人の好む「自由度の大きさ」を考慮する必要がある。「適当にやっといて」で丸投げだと不快に考える人は具体レベルのみの世界に生きる「低い自由度を好む人」である(位置458)
    • (感想)そうには見えない
  • 上流では個性が重要視される。いかに尖らせるかが重要なので、多数決による意思決定はなじまない。意思決定は多数の人間が関わるほど無難になる(位置490)
    • (感想)わかる
  • 「上流発想」の建築家は「全体の統一感」や「つながり」を重視する。実際に住む人間からすれば「個別の使い勝手」や「部分的な見た目」のほうが重要である(位置515)
  • ネット上で見当違いの議論をしているのをよく見る。「–は–だ」と言い切るのは、そこで「抽象レベルの方向性」を示しているだけで、「具体レベルのすべてがそうだ」と言っているわけではない(位置570)
  • 哲学の利点は無駄がなくなるということだ。哲学がないとすべてにおいて個別に判断する。場当たり的になって、行為の整合性が取れない。哲学のレベルで方向性が共有されていると、個別に見える事象も大きな方向性に合致しているかで判断できる。ぶれが少なくなる(位置589)
  • アナロジーとは「抽象レベルのまね」である。具体レベルのまねは単なるパクリでも、抽象レベルでまねすれば「斬新なアイデア」となる。重要になるのは関係性や構造の共通性に着目することである。特許で守れるのは抽象度が低い、直接的に類似性のあるもののみ(位置621)
  • ルールや理論、法則は、多くの場合具体的に起こっている事象の「後追い」の知識だった。しかし一度固定化された抽象度の高い知識は固定観念となる。そして後付けだったはずの理論やルールに現実を合わせようとする。本末転倒が起こる(位置685)
  • 抽象と具体のどちらかだけでは不完全である。具体と抽象の往復が必要になる(位置717)
  • 人間は自分の理解レベルより上位の抽象度で語られると突然不快になるという性質があるように見える(位置806)
  • 他人への一般化は平気でやるのに、自分が関連していることを他人に一般化されることは理解できないし好まない傾向がある(位置821)
  • 高い抽象レベルの視点を持っている人ほど一見異なる事象が「同じ」に見え、抽象度が低い視点の人ほどすべてが「違って」見える。抽象化して考えるためにはまず「共通点はないか」と考えてみることが重要である。このような思考の障害になるのは、「自分だけが特別である」「自分の仕事や業界が特殊である」という考え方である(位置854)
  • 人は失敗例を見ても「あれは自分とは違うから」と考えがちである。他人に自分の話を一般化されることを嫌う傾向がある。経験した世界が狭ければ狭いほど、自分の置かれた状況が特殊だと考える傾向がある(位置861)
  • 具体レベルだけ数学をとらえれば「直接何の役にも立たない」ように見えるが、抽象レベルで見れば数学の考え方はどんな職業の人にも必ず役に立つ(位置915)

関連

なし。