干拓築堤工事(出水市・昭和27年頃)
戦後の食糧不足に対応して、全国各地で干拓が盛んに行われた。遠浅の海岸をもつ出水地方は、すでに江戸時代から干拓が盛んだった。農林省による干拓は西工区から初められ、蕨島から土砂が気動車で大量に運搬され、島は陸続きになった。
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阿久根大島銀座(阿久根市・昭和40年)
昭和30年から40年代にかけて、阿久根大島が、夏場のキャンプ、海水浴場のメッカとして最もにぎやかな時であった。シーズン中は島の中心部に多くの出店が並び、野外の演舞場もできて、人々は大島銀座と呼んで親しんでいた。
昭和40年頃の黒之浜港(阿久根市・昭和40年頃)
古くから交通の要衝として重要な位置を占めていた黒之浜港は藩政時代、明治、大正、そして昭和50年代まで、長島、天草への渡船の基地であった。写真右端に見える船が、長島との間をつないでいたフェリー。
脇本港はにおける杭木の積み出し(阿久根市・昭和30年代)
脇本港は往年、北薩随一の良港として知られていたが、土砂の堆積が続き、今では大型船の入港はまったく見られなくなった。しかし、昭和30年代までは北九州へ移出する杭木の積み出し港として多くの船舶が出入りしていた。