KDOC 9: 上には上のオタクがいる
10代後半~20代にかけて、集団の中で常にオタク1に分類されてきた。
初めてフルタイムで働き始めた会社にて、はじめてコンピュータに精通した集団で過ごした2。いくつかの面で自分と同じ人々だ、とシンパシーを感じた。そのような人々のなかでも、自分はオタクとみなされていた。同じ領域の仕事をしている人にそう思われることは誇らしく感じた。
しかし、自分は、ただ相対的にオタクであっただけで、 本当の オタクだったわけではない。ただ、その存在を知らなかっただけだった。
今の同僚たちのことだ。彼らの中にいると、自分はオタクではない。嫌というほど自覚したし、実際に言われたこともある。興味の熱量が、全然違った。何の疑問も持たずに自明だとしていたことを異常に知っていて、知らないことに対するセンスも鋭かった。図を交えて1時間近く議論していることもよくある。知識に対する解像度が高い。当然ながら、高学歴な人たちだ。異文化を観察するようにその知識へのふるまいを見て、よく感動する。
ここまで人から刺激を受けて、自分もそうなりたいと感じたのは、初めてだった。うさんくさく思っていたけど、これがよく言われる人との出会いなんだ。本を読んでも人は変わらないが、出会いによって人は比較的簡単に変わる。帯域幅が全然違う。
ということで、何が言いたいか。
- ある集団ではオタクでも、別の集団ではまったくオタクではない、ということがある
- 賢い集団は見つけにくい3
- 賢い集団は探す価値がある